味わい深い蜜の色 「成歩堂さん」 どうしたの? 深夜のマンション。入口に座り込んでいる人間を凝視してみれば、知り合いで、響也は目を丸くした。 「う〜ん、遅かったね。」 「仕事だよ。…というか、僕はアンタと約束していたかい?」 首を捻る響也に、成歩堂は笑った。 「随分冷たいねぇ。約束がないと来ちゃいけないのかい?」 「え…そ、そんな事はないけど。」 途端に頬を赤らめる相手に、成歩堂はくくと含み笑いを漏らした。ふとした時に崩れてしまう『余裕の顔』は、成歩堂にとって特別の表情だ。 「何笑って…。連絡くらいしてくれても良いだろ? まさか、携帯止められたんじゃないだろうね。だいたい、いつからいたんだよ。」 「聞くのは野暮ってもんだろ? さ、上がった、上がった。」 当たり前に差し出された手に家の鍵を乗せ、此処は僕の家じゃあないかと響也は呆れる。そんな事にお構いなしで、さっさと鍵を開けた成歩堂は部屋へ上がり込み、突き当たりのリビングに行き着くとカーテンを開け放った。 大きくて丸い月が、美しい蜜色の光を放ちながらその姿を誇示していた。 「full moon?」 ふわと口を綻ばせた響也の横に並び、中秋の名月だねと成歩堂は言った。 「十五夜とも言うんだろう?」 そう言って成歩堂に顔を向けた響也の髪を、成歩堂の無骨な指が触れた。何気ない仕草なのに、響也はぞくりと背を震わせる。 ちゃぽん。 液体が大きく揺れる音がしたと思う間もなく、重ねられた唇から何かが流し込まれる。喉と口内を一瞬で熱くするほどの度数を持ったアルコールだと気付いた時には、流し込んできたはずの成歩堂の舌が、もう一度吸い寄せるように絡みついていた。 強引な動きに、半分飲み込み、半分は響也の口から零れ落ちる。 「いきなり何するんだよ、アンタは。」 ついでに気管にも入り込んでしまって、咳き込む響也の背中をさすってやりながら、成歩堂は悪びれた様子もなくごめんごめんと笑った。 見れば、手に握られた酒瓶に「清酒 月見酒」。 貰い物なんだけど良いお酒だよ、これ。響也くんと一緒に飲もうと思ってさ。 『都合の良いことを』と思いながら、響也の頬はつい緩んでしまう。 「君が成人で良かったな。こうして、美味い酒が、いっそう美味しく飲める。」 「何言ってんだか…。」 顔を真っ赤にしながら、唇から垂れた日本酒を拭う。何もかもが成歩堂のペースなのが、腹立たしい。照れ臭さも相まって、ぷいとそっぽを向いた響也に、成歩堂は話掛けてくる。 「ねぇ、響也くん。十三夜というのも、月見をするの、知っていたかい?」 「何それ?」 「日本独特の風習でね。片方の月見だけをするのは縁起が悪いって事らしいよ。」 「…やっぱり、日本の習慣はわかりにくいな。初めて聞いたよ。」 ふうんと素直に頷いた響也に向かい、成歩堂は笑う。 「だから、このお酒置いていくからね。」 ちゃっかりと約束を置いていく男に、苦情を告げない自分自身に呆れながら、響也も笑う。 「今度は、雨かもしれないよ?」 「だったら、別の蜜色を愛でるからいいよ。」 そういうと、成歩堂の指先は再び響也の髪に伸ばされた。 〜Fin
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